創作脚本にチャレンジ②    

幕・場・景
舞台進行の区切りに「幕」「場」「景」というまとまりがあり、 脚本を書く際も、その区切りを意識して書き進めてゆきます。
<幕>
緞帳を下ろし客電をつけるレベルの大きな区切りを「幕」といいます。 幕間(まくあい)は観客が席を立ったり飲食するような休憩時間となります。
幕間のない劇を「一幕」もの、幕間がある場合は「二幕、三幕……」という言い方になります。
高校演劇の大会用脚本は、60分以内という規定もあり、ほぼ一幕ものです。
<場>
ひとつの幕の中をいくつかの場面に区切る単位を「場」といいます。
幕間がなく、場面が四つに分かれていれば、「一幕四場」という言い方になります。 各場面は通常「第○場」と呼びます。
ひとつの場面は暗黙の了解として、同一の空間で、連続した時間が流れていると見なされます。 「場所」または「時間」が変化するなら、別の場面となります。 (もちろん、劇の内容にもよるでしょうが)
場面から場面への転換には通常、暗転または明転が入ります。
暗転……舞台上の照明を消す、あるいは暗転幕を下ろすことによって、「時間の経過」を表現したり、 実際に舞台装置を入れ替えて「場所」を変化させる。
明転……舞台を暗くせず、観客に舞台装置の変化などを見せながら場面転換を知らせる。
逆に言えば、暗転や明転が入ったら、(観劇に慣れた)観客は時間の経過または場所の変化があったものと解釈します。
<景>
ひとつの場面の中をさらに区切る時、「景」という言い方をします。
例えば、同じ場面ではあるが途中で登場人物が大幅に入れ替わるとか、 夕方から夜に変わるという変化があって、その前と後を明確に呼び分けたい時に使います。

上演時間と文章量
朗読原稿や劇の台本の原稿は、伝統的に「400字詰原稿用紙(20字×20行)1枚で1分」と言われます。 実際には、文字がびっしり書かれた1枚と、例えば「え?」「うん。」「ほんとに?」「そうだよ。」 だけで4行使っているような1枚とでは当然かかる時間が違うわけですが、 そうした様々な分量の混在を全体的にならした結果として、経験的に妥当な計算とされています。
現代では、原稿用紙に手書きをするよりワープロで執筆することの方が多いでしょう。
Microsoft Word などワープロでは入力文字数(空白文字を除く)が画面隅に表示されてすぐわかります。 本サイト「群馬の高校演劇」の創作脚本集► で公開されている作品を見ると、 上演時間60分作品の平均文字数は約2万字となっています。 一分あたり平均333字。原稿用紙1枚程度という上記の経験則とも一致します。
30分ものを予定するなら1万字、60分ものを予定するなら2万字を目安とするのがよいでしょう。

上演を想定して書く・実現できる劇
「上演を想定して書く」と言うと、そんなのは当たり前ではないかと言われそうですが、 実はなかなか難しいことです。
簡素な装置と衣装メイクだったとしても、演者と観客の間に了解が成立しさえすれば、 舞台上は海中にも、宇宙にも、地獄の底にもなり得ます。 演者は男にも女にも、動物にもお化けにもなることができます。 一瞬にして時空を飛び越えることだって不可能ではありません。
演劇の表現自体に限界はありませんが、実際に舞台として成立させるには、物理的な制約があります。 せっかく創作脚本を書こうという人は、自校で実現できる力量(部員数と演技力、舞台美術、音響、照明) のことも考えながら、ひとつひとつの場面および場面転換を書くべきでしょう。
大掛かりな舞台装置と、それを取り回す大人数のスタッフがいないと成立させづらい劇をわざわざ書くことはありません。 場面転換の是後で季節が変わる、結婚式の場面になるなどの理由で、役者の着替えや舞台装置の転換に時間がかかり、その間長い暗転状態(あるいは、いわゆる「死に間」)が続いてしまう劇をたまに見受けますが、 作者としてそういう場面転換を描きたいなら、脚本段階でその時間を稼ぐ"つなぎ"のシーンを入れておくなどの工夫が必要でしょう。
また、演劇では、映像作品でいう「クローズアップ」も不得意です。 (上演会場の大きさ、客席との距離感にもよりますが)ごく小さな物に自然と注目させる演出は、 不可能ではないものの、あまり舞台表現向きではありません。
慣れるまでは難しいことですが、今書いている脚本が実際に「演じられている様子を観客席から見る」イメージをクリアに想像できている、というのが理想です。

こんな劇はイヤだ
「ストーリーは面白いが、演劇としてはいまひとつ面白くない」劇もあります。
劇作初心者の陥りがちなワナを紹介します。

暗転が多い劇
暗転は、物語の時間/場所が大きく飛ぶような場面転換の時に使います。
映画(映像作品)の場面転換と、演劇の場面転換は同じものではありません。
映画(映像作品)では、時間や場所が飛んでも画面が瞬時に変わるので、 観客(視聴者)の心は作品から離れません。 一方、演劇では、暗転のたびに、観客は見ている劇の束縛から解き放たれ、 どうしても、少しだけ我に返ります。
暗転の多すぎる劇は、観客が劇の世界に浸り込むことを阻害します。
60分程度の劇であれば、暗転は多くても5回以内がいいのではないでしょうか。
細かいシーンが連続する劇を書きたい時は、明転による場面転換、 あるいは演劇表現の特性を生かして同時進行的な劇空間作りでつなぐ手法を検討してください。

全部説明する劇
劇の観客は「自分で解釈し、自分で考える」ことが大好きです。 これはいわゆる謎解きミステリーだけの話ではなく、およそ観劇という行為の本質的な部分です。
観客は登場人物たちに「ぼくは悲しい」と説明して欲しいのではなくて、 「ああ、この人、悲しそうだなあ!」と思いたいのです。
逆に言えば、席に座って一定時間動くことができない観客は、それを封じられてしまうと、 もはや何もすることができません。そうなったらあとは、終演まで拷問のような時間が過ぎるばかりです。
登場人物が舞台上で状況、心情その他すべてを台詞で説明してしまう劇は 「クイズを出したそばから答えを言ってしまう」ようなもので、 どんなに美しいストーリーや衝撃の展開であったとしても、 観客からすれば、観劇の「楽しみ」が失われた劇です。

デウス・エクス・マキナ
できることなら予定調和のエンディングは避けたい。 観客の予想を裏切るような衝撃のラストを描きたい。 誰しもが思います。
"デウス・エクス・マキナ"とは、 「劇の内容が解決困難な(膠着)局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、 混乱した状況に一石を投じて解決から終幕へと導く」 という演劇手法で、これ自体は古典劇の時代からあるものです。
一種の「どんでん返し」ですが、その「神」が登場するための伏線が張られておらず、 主人公が局面を打開する幸運に恵まれるだけの根拠を著しく欠く場合 (悪の主人公の破滅が自然災害や偶然の事故などによるものだった場合も含む)、 それを見せられた観客に感動をもたらすかどうかは疑問です。
上記とは違いますが似たようなものとして、 最近のゲーム用語を借りると「チート」(無双)があります。
困難に直面した登場人物が、現実的ばなれした知識やスキル (身分、家柄といった社会的権力のようなものも含む) を持っていたという設定により自己解決できてしまう物語進行は、見せられる側からすると、 実は、さほど面白くもありません。演劇は、そもそもナンデモアリですから。
やるのであれば、観客の共感が得られるよう、その解決場面に至るまでの確かな積み上げが重要です。 (劇の主眼がそもそも「個性豊かな登場人物たちによる楽しい演技」であり、 ストーリー自体にはたいして重きを置かないような作品であれば、話は別ですが。)